2013年10月の一冊『よろこびの歌』

女子高校で合唱を通して描かれる「べたべた」ではない青春物語 / 国語科 中本先生

受験シーズンが近づいて参りました。台風は大きな爪痕を日本に残し、そしてまた季節は進みます。この時期になると、小6、中3の受験生は目の色を変え始め、季節よりも猛烈なスピードで人間的な成長を果たします。私がこうして教壇に立ち(すばるには無論教壇はありませんが)、小中学生に授業をさせていただいているのは、この成長を見るためだと毎年思わされます。そして、受験。合格、不合格―。もちろん結果は出ます。でも、その先の人生の中でもいっとう大切で輝かしく、素敵な時間を過ごす中学、高校での日々は結果に左右されるものではありません。与えられた場所で輝いて欲しい、そう願っておりますし、すばるの卒業生はみな素晴らしい輝きを放っています。前置きが長くなりました。今回ご紹介するのは、とある新設の私立の女子校(第二志望になることが多い学校)が舞台のおはなし。それぞれの事情を抱えて入学する生徒たちが、自分の輝きを求め、合唱活動に取り組みます。

『よろこびの歌』 宮下奈都 / おすすめ学年:小学5年生~中学3年生

著名なバイオリニストを母に持つ主人公、御木元玲は音楽学校受験に失敗して舞台の明泉女子高校に入学します。音楽から遠ざかり、学校生活にも無気力な彼女。独りで「冬を纏う」孤高の存在でしたが、校内の合唱イベントで指揮を任されます。自分が歌うことではなく、周りと歌を作り上げることで、再び自分の居場所を見出していくという章から小説はスタートします。

その後、玲の5人のクラスメイトにそれぞれ視点が切り替わり、連作短編という形でストーリーは展開します。玲の章では、「脇役」であったクラスメイトたちのそれぞれの物語が紡がれていきます。「脇役」も、その人の人生にとってみればもちろん主役です。作者の「脇役観」がきっちりと表現されています。冒頭の玲の章から5人のクラスメイトの章を経て最後の玲の章まで、約半年。章が変わるごとに時間が進行して、合唱コンクールでの惨憺たる出来から、少しずつ玲とクラスメイトの交感が行われ、クライマックスを迎えます。

作者、宮下奈都のうまいところはこの物語を「べたべた」にしないところです。単なる友情物語、成長物語で完結しません。余計なものを削ぎ落として、思春期の揺れ動く心、ある点では非常に薄っぺらく、ある面では濃厚な人間関係、そういったモノを見事に描出しています。読者の心にじわじわと攻め込んでくる書き方は秀逸です。
あと注目して欲しいのは、情景描写。作者の目を通した風景の描写は確かに情景描写ではあるのですが、繊細でそれでいてくどくない、スタイリッシュな情景が描き出されます。ともすれば、しつこくわざとらしくなってしまう情景描写。それも宮下の手にかかれば、物語にこれ以上ないくらい溶け込んだ場面の切り取りとなります。表情のある情景描写ができる稀有な作家です。近々直木賞も持っていくでしょう。

『終わらない歌』というザ・ブルーハーツのかの名曲がタイトルとなっている続編も発売されています。本作『よろこびの歌』もハイロウズの曲名です。作品のスタイルとはギャップのあるロックな好みですよね。二作ともかなりおすすめの作品です。

この時期に取り上げる作品は、ここ数年「入試に出る」予想の作品でした。一年間意識して読書を続けましたが、中学受験の出題候補として、今年はめぼしい作品はありませんでした。昨年ご紹介した『あと少し、もう少し』と『くちびるに歌を』が引き続き一押しです。ただ、今回ご紹介した『よろこびの歌』は、高校入試でこそ狙われる作品でしょう。「大人」の読み方ができれば、相当数の言葉が胸に響くはずです。 作中で引っかかった言葉があります。「ここを第一志望として入ってきた子がどれくらいいるだろう。口に出さないだけで、行きたい高校は他にあった子が多いはずだ。大事なのは、口に出さない、というところだ。あきらめてここに来たのだと感じさせない知恵だ。」第一志望に入れなかった子たちはきっとそう考えてしまうのでしょう。でも、冒頭にも記したように、与えられた場所で輝ける受験を応援しています。受験する学校はどの学校も素晴らしい学校であるとお勧めできるよう残り100日余、可能な限り情報を集めてこれからの進路指導にあたりたいと思っております。

《その他のおすすめ作品》

2013年5月の一冊『ツナグ』

生者と死者の心をつなぐリアルな空想のお話

さて、五月です。眩いばかりの新緑と街並みを彩るツツジの花。鎌倉が一番美しく輝く季節がやってきました。卒業生たちは、すばるを羽ばたき、それぞれの道で新たな挑戦を始めているようです。晴れやかな気持ちと一抹の寂しさがありますが、今はfacebookやLINEで気軽に「繋がって」いられるようになりました。嬉々として近況を発信する卒業生たちを確認すると、寂しさも幾分か和らぐように思います。また、たくさんの生徒が真新しい制服に身を包み、すばるを訪れてくれています。学校生活について語るその顔つきはデジタルでは伝わらない魅力いっぱいの輝かしいものでした。いつまでもそうした「つながり」を大切にしていきたいです。さて、今回ご紹介するのは、直木賞を受賞した辻村深月『ツナグ』です。死者と生者を会わせることのできる存在「ツナグ」が、主人公です。

『ツナグ』  辻村深月 / おすすめ学年 小学6年生~中学3年生


死んだ人間と生きた人間を結びつけ、会わせることができる使者(ツナグ)。このツナグを介して、この世を去った人間とたった一度だけ会うことができます。一人の人間の一生でツナグを使えるのは一度だけ。その機会を誰に使うのか。また、死者も、ツナグを介して生きている人に会うことが出来ます。死者は受け身の立場(指名待ち)ですが、死んでから生きている人に会えるのはたったの一度だけ。その機会を誰に使うのか。
突然死したアイドルが心の支えだったOL、年老いた母にがん告知できなかった頑固な息子、親友に抱いた嫉妬心に悩まされる女子高生、失踪した婚約者を待ち続ける会社員・・・といったように、登場人物が入れ替わり、連作短編の形で描かれるこの小説。設定だけ読むと、アニメや漫画の世界のようで、敬遠したくなるかもしれません。でも、そこにはこのあり得ない設定だからこそ表現できる、生と死の「リアル」が描かれています。

人の心の深い所にある「本心」。これを嫌味なく巧みに描出する辻村深月の筆致に注目です。辻村深月といえば、デビュー作『冷たい校舎の時は止まる』を代表として、どの作品でもある種の「怖さ」が特徴でした。この『ツナグ』で描かれる「怖さ」は、文庫版解説にもありましたが、やはり喪失感のように思います。たった一日会うだけで埋められるはずがない、大きな「命」というものの喪失感。一対一に近い本当にミクロなドラマですが、その世界観は無限の広がりを生んでいます。

やはり考えてしいます。自分ならこの「ツナグ」機会をいつに使うのか。妻なのか、息子なのか、それとも両親なのか。一人しか会えない。希望でもあり、後悔をも生みかねないこのシステム。一番会いたい人は誰か。読みながら、登場人物に感情移入しながら、自分を省みていました。きっと多くの読者がそうなることでしょう。この小説のすばらしさについて、ここで何を述べても始まりません。多くを語る必要はありません。読めば、読んでこそこの本の価値が分かります。新境地に突入した辻村深月の新たな代表作を是非ご一読ください。と、宣伝をして、この素晴らしい小説を書いてくれた作者に対しての感謝を「ツナグ」こととしたいと思います。

2012年12月の一冊『あと少し、もう少し』

十五歳の自分自身のすべてをかけて走り心のたすきをつなぐお話

どうしてかは分かりませんが、すばるには陸上部の生徒が多く在籍しています。それも長距離ランナーが多く、11月に七里ガ浜を駆け抜ける鎌倉市駅伝大会へ応援に行くのは、毎年の楽しみです。(今年は塾の仕事の都合で行けませんでしたが…)
中学生が己の青春の日々をかけて、普段教室で見せているのとは、また一味も二味も違う真剣な形相で走る姿には心を揺さぶられます。そんな生徒の姿と重ね合せて読んだこの小説は素晴らしく、最初の50ページで私の頬は既に濡れていました。
瀬尾まいこが書いた中学生の駅伝小説ということで、読む前から期待値は相当高かったわけですが、それを裏切らない2012年の最後にご紹介するにふさわしい小説です。

『あと少し、もう少し』  瀬尾まいこ / おすすめ学年 小学5年生~中学3年生


舞台はやや田舎の中学校。その陸上部の駅伝チームのお話。強豪とは言えませんが、毎年駅伝では県大会に出場していたレベルのチーム。しかし、これまでこのチームを引っ張ってきた鬼のような神のような顧問の先生が転任し、陸上の素人同然の先生が顧問となります。部長の桝井は、先生に気を遣い、チームを結成するために他の部活動からもメンバーを集め、何とか県大会の出場を果たそうと、陸上以外でも奔走します。本業以外での頑張りが仇となり、自身のタイムが伸び悩みます。
それでも、メンバーは桝井の頑張りに応えるべく、自分とも闘いながら、走り、そして襷をつないでいきます。

この小説のすごいところは、その構成です。主人公不在の書き方とでもいいましょうか。第一章は一区を走る設楽。第二章は二区を走る太田。といった具合で、各章がそのまま区間に割り当てられていて、すべて別の一人称で進みます。駅伝の襷とともに、一人一人の物語のたすきが渡されていく形で、ストーリーは進行します。区間を走る一人一人が主人公になれるこの書き方には、舌を巻きました。
一人一人のメンバーの個性が滲み出ていて、たすきが渡されるたびに、その想いがつながれていく展開は「絆」そのものでした。

一区を走る冴えない、いじめられっ子キャラ、設楽のセリフに早くも涙腺がゆるみます。
「がんばれという言葉が僕にはよくひびく。ありきたりの言葉がありがたいということを僕はここにいる誰よりもしっている。いじめられっ子だった僕を、ここまでみちびいてくれたのはこの言葉だ」
がんばれという言葉が嫌い、という人がいます。頑張れと言われても何を頑張ればいいか分からない。よく聞きます。そうなのでしょうか。そういう君こそそんなに「我(が)を張らなくて」いいじゃないか、と言いたくなります。応援なんです、その人のことを想って言った言葉は、どんな言葉でも力を持っているはずです。たとえ相手に届かなくても、その言葉に想いを込めて発すれば、必ずや意味があると思います。だから、私はいつも想いを込めて生徒に伝えます。「がんばれ」と。言葉を受け止めるのではなく、言葉に込められた想いを受け止めてほしい、そう願いながら。

ラストがやや淡泊ではありますが、それがこの作品の価値を落とすことにはなりません。駅伝スタイルのこの小説は一人にスポットが当たりすぎてもいけないのだと思います。それは、ラストを走る、部長でリーダーの桝井の章も然りです。「最後は感動的に…」としたいところですが、他のメンバーと同じウェイトで、淡々と描いたことに瀬尾まいこの配慮を感じました。

駅伝好き、青春小説好きは必読です。新たな名作の誕生です。同じく駅伝小説の名作といえば、今年『舟を編む』で本屋大賞を受賞した三浦しをん『風が強く吹いている』がありますが、それに勝るとも劣らない作品でした。

2012年皆様にとってどのような年だったでしょうか。すばるの1年は2月の受験が終わるまでは終わりません。これからのラストスパートに全力投球したいと思います。
今年もたくさんの別れと出会いがありました。生徒は、「別れ」のその時に一番輝いていて、その輝きはまた新たな出会いへのモチベーションを高めてくれます。生徒と過ごすその一日一日を大切に、それを次へとつないでいければ、きっとそれはお互いにとって幸せで、素敵なことでしょう。たくさんの素敵な出会いと別れをすばるではお待ちしております。

皆様が、今年一年間つないで来た「たすき」を来年に良い形で渡せますように、そう願っております。本年もすばるのホームページをご覧いただきありがとうございました。良いお年をお迎えください。

2012年11月の一冊『くちびるに歌を』

「心を一つに」十五歳の繊細な心の揺れを歌声に込めて描いたお話

すばるにも多く通っている横浜国大附属鎌倉中学校では、NHK合唱コンクール(通称Nコン)での入賞を目指して中学三年生有志で合唱団を結成し、春から夏、秋にかけて猛練習を行います。塾としては、「受験生の大変な時期に…」という思いはありますが、生徒の青春を可能な限り応援したいと考えています。もちろん、宿題忘れや勉強不足の時に「Nコンが忙しくて…」という言い訳は許しません(笑)。
そんな附属鎌倉中のNコンメンバーが今年8年ぶりに全国大会に出場し、何と金賞を取ってきました!(拍手) 塾生も四人ほど参加しており、鼻が高いです。ここのところ低迷していた附属のNコンですが、快挙を達成してくれました。
さて、そんなわけで、今回久しぶりにこのコーナーで紹介する小説「くちびるに歌を」は、中田永一の秀作で、そのNコンを目指す中学生の物語です。

『くちびるに歌を』  中田永一 / おすすめ学年 小学5年生~中学3年生


長崎県五島列島のとある中学校での合唱部。これまで顧問をしていた先生が産休に入り、変わりに臨時として、柏木先生が合唱部を指導していくことになります。柏木先生は、音楽のプロともいえる存在ですが、教師としては未知数です。いままで女子生徒しかいなかった合唱部でしたが、柏木先生の美しさに魅せられ男子生徒が多数入部します。

これまでは女子だけでやってきた合唱部にさざ波が立ち、挙句の果てにNコンへは、柏木先生の独断で混声でのエントリーとなります。そのコンサートでは、アンジェラアキ「手紙~拝啓 十五の君へ~」が課題曲として指定されます。この歌自体も素晴らしい歌ですし、泣くための準備は整ったな、と前半部分で思わされました。部員たちは柏木先生から実際に十五年後の自分へ向けて、手紙を出すように、との課題を出されます。繊細で複雑な中学生の「いま」と、十五年後の自分に対する思いを抱えながら合唱部の活動は続いていきます。

コンクールでの結果云々、よりも、人物の心にスポットを当てた中田永一こと乙一の描写に注目です。中田永一と言えば、名作「百瀬、こっちを向いて」ですが、今作でも「冴えない主人公」が健在です。多くの小説で、主人公は艱難辛苦を乗り越える英雄であったり、どこか影を持った魅力のある存在だったりしますが、この主人公は「冴えない」。残念ながらいい感じで冴えていません。その冴えない主人公で物語を引っ張ることに作者の力を感じます。

ただ、「百瀬、こっちを向いて」が秀逸な短編だったのに対して、中編小説という位置づけになる本作は、やや中だるみを感じました。それでも、ラストに向けての盛り上がりは良く、最後は期待を裏切らない終わり方です。「心を一つに」ベタな標語や掛け声は冷笑されてしまう昨今ですが、それは心を一つにすることの喜びを大人たちが与えられていないからではないでしょうか。合唱は、紛れもなくその体験をさせてあげられる稀有な集団行動です。附属中を筆頭に、鎌倉全体で合唱への取り組みがもっと高まればいいな、と思っております。

この時期に本作を紹介をしたのは、2013年度の中学入試で狙われそうな小説だったからです。昨年のこの時期にも、小路幸也の『空に向かう花』をご紹介しましたが、実際に出題されました。今年の一本勝負はこちらで行きたいと思います。

2012年4月の一冊『幸福な食卓』

「出会い」と「別れ」と「大切なもの」のお話

受験シーズンと新入生をお迎えするシーズンがようやく一段落しました。別れの季節である春。今年はいつもに増して寂しく、でも新たな出会いがその寂しさを少しだけ和らげてくれました。
卒業生が真新しい制服に身を包み、塾を訪れてくれることや新入生たちの溌剌とした笑顔が嬉しい最近です。今日紹介する本は、出会いと別れ、そしてそれを超えて「変わらない大切なもの」がテーマの小説です。
年一回しか更新されないダメなコーナーですが、楽しみにしていただいている方もいるようなので、今年度はもっと頑張ります!

『幸福な食卓』  瀬尾まいこ / おすすめ学年 小学6年生~中学3年生

瀬尾まいこの本はいつも温かさに包まれています。自分の「読みたい本リスト」にずっと書かれていましたが、読む機会のなかったこの本。読み終わった時に震えが来ました。
「父さんは、今日で父さんを辞めようと思う」そんな衝撃的な一文で始まるこの小説。家族の描き方が秀逸で、主人公佐和子を包む兄、父、母はそれぞれ個性的ですが、発する言葉の端々に思いやりと優しさを感じます。お気に入りは兄の「直ちゃん」。天才児が上手く生きられなくなってしまった苦悩が、鮮やかな筆致で読者にビシビシと伝わってきます。一人ひとりの登場人物の会話における言葉のセレクトが素晴らしく、これが瀬尾まいこのセンスなのでしょう。物語はゆっくりとほっこりと進み、このまま終わるだろうと思っていたところで、まさかの展開に。 終盤の佐和子のたたみかけるような心情描写の巧みさに胸を打たれました。瀬尾まいこは中学の国語教師ですが、完全なる敗北感を感じました。小説の持つ力、言葉が持つ力を再認識させられた、そんな本です。

毎朝喫茶店で本を読んでいるわけですが、朝から喫茶店で目頭をハンカチで押える30歳の姿は、さぞおかしく映ったでしょうが、溢れる涙を止められませんでした。読み終わって外に出たとき、鎌倉の空は青く美しかったですが、それすらも当たり前に感じられるほど心は澄んでいました。
掛け値なしのおすすめです。生徒には、この本のすばらしさが分かるような子どもとなってほしいですし、保護者の皆様にも是非読んでいただきたいと思います。

北乃きい主演で映画にもなっています。こちらもおすすめです。この映画のためにMr.Childrenは「くるみ」をアレンジし直して、それが主題歌となっています。ミスチルは大好きですが、この本を読んでから「くるみ-for the film-幸福な食卓」を聞くと彼らの偉大さを痛感し、また涙が止まらなくなります。

2011年11月の一冊『空へ向かう花』

罪を背負った子どもとそれを囲む人々の暗く温かいお話

大変にご無沙汰してます。 約一年ぶりの更新ですね。子どもたちとその周りにいる大人たちに是非とも読んでいただきたい本に出会いましたので、ご紹介いたします。
著者は小路幸也。「東京バンドワゴン」シリーズで有名ですが、恥ずかしながら著者の本を初めて読みました。登場人物の描き方、心情の描写、物語の進め方など、細かい所に気が遣われていて、ストレートでありながら深く、重くなりがちなところを温かく、心に響く小説でした。

『空へ向かう花』  小路幸也 / おすすめ学年 小学6年生~中学3年生

《大人の意地を見せてやるって思った。大人ってすごいんだって、子供のためにこんなことをしてくれるんだって思わせてやる。二人が大人になりたいって思ってくれるように。》

お気に入りの一節です。
ビルの屋上から小学六年生の少年が飛び降り自殺をしようとする場面から物語は始まります。それを阻止しようとする同じく小学六年生の少女。この少女も辛い過去を背負っています。困難の中で生きる道を模索する二人は、奇縁で結ばれており、その周りを囲む大人たちが、二人を見守り、力になる。主な登場人物は四人。この少なさが、この小説の良さを引きだしています。魅力ある四人の登場人物が視点を変えながら、重いテーマに立ち向かっていく様子に引き込まれました。
生きること、罪や悲しみや苦しみを抱えながら、それでも生きること。そのために必要なことは何かを教えてくれる小説です。保護者の皆様方にぜひ読んでいただきたい本です。

いよいよ受験シーズンが近づいてまいりました。今年はどんな作品が出題されるかも気になります。定番の重松清(「くちぶえ番長」「きみの友だち」)、対抗の椰月美智子(「しずかな日々」「十二歳」)、出題数急上昇中の森浩美(「夏を拾いに」「こちらの事情」)、大穴の宮下奈都(「よろこびの歌」「スコーレNo4」)、 根強い人気の川端裕人(「今ここにいるぼくらは」)など、幅広い作家・作品から出題されます。ただし、中学受験の国語では、間接的な心情描写を如何に読みとるかが大事で、間接表現の巧みな作家が取り上げられているということは間違いありません。小学生の国語力を試すという点では、個人的には重松清や椰月美智子、佐藤多佳子など直球勝負の作家を出題してほしいですね。
でも、今回紹介した「空へ向かう花」。必ずどこかの学校で出題されます。(自信アリ)

2011年1月の一冊『武士道シックスティーン』

二人の主人公(女の子)が「心」と「技」を磨く剣道小説

一月も終わりにさしかかり、受験直前の緊張感が塾には漂っております。受験にも正面からぶつかり、自分の力を最大限発揮していただきたいものです。仁義を以て尊しとなす。卑劣な行為をせずに日本人の「武士道」精神を。今の時期にぴったりの小説をご紹介します。
今回ご紹介するのは『武士道シックスティーン』剣道小説です。前回はボクシングで今回は剣道か、という感じですが、スポーツ小説は読書の入り口としては最適だと思います。

『武士道シックスティーン』 誉田哲也 / おすすめ学年 小学5年生~中学3年生

同い年の二人の視点が入れ替わりながら物語は進行します。幼い頃から強くなるためだけ、人を斬ることだけを目的に剣道をやってきた香織と、小学校で日本舞踊を経験し、中学から剣道を始めた早苗は同じ高校の剣道部に所属することとなります。香織の勝負へのこだわり方が非常に極端で面白く、また早苗の天然ぶりも微笑ましいものです。

とある因縁で結ばれた二人。二人の性格は180度違い、衝突し、それでもなかなか考えを曲げない頑固な二人。物語が進むにつれて、お互いが精神面、剣道の技術面で、少しずつ成長し、視野を広げていく様子が丁寧かつリズミカルに描かれます。

登場人物は個性豊かでありながら、それぞれに感情移入できる素敵な人物ばかりです。このシリーズ『武士道セブンティーン』『エイティーン』と続いていくのも納得です。シリーズものとして続きも楽しみな物語。女の子が主人公のスポーツ小説は珍しいですが、まさに「武士道」を感じさせるロックな小説でした。

2010年4月の一冊『ボックス!』

“努力の秀才”と”センスの野生児”の二人が織りなす感動と興奮のボクシング小説

四月も終わりにさしかかり、2010年初のおすすめです。今年もたくさんの新入生に入塾いただきました。読書離れ、ゆとり教育による学力低下などが叫ばれておりますが、現場の実感としては、読書に関しては、学校による朝読(朝の10分間読書)の効果からか、ご家庭の取り組みの成果か、少しずつ本を読む子どもが増えているように感じております。
今回紹介させていただくのは、Rookiesでお馴染み市原隼人が主演で映画化が決まりました『ボックス!』です。ボクシング小説ということで、「そんな野蛮な・・・」とお思いかもしれません。ただし、リアルを幻想的に、混沌をやさしく、暑苦しさを涼しく描くことに定評がある百田尚樹によって、非常に爽やかに書かれています。

『ボックス!』  百田尚樹 / おすすめ学年 小学5年生~中学3年生

主人公の優紀は、勉強面で努力をいとわず、非常に優秀。私立高校の特進クラスに在籍しています。ただ、ありがちなひ弱で勇気がなく運動神経がないタイプ。一方優紀の幼なじみの鏑矢(かぶらや)はやんちゃで勉強もできず、ボクシングとけんかの強さだけが自慢で、私立高校にはスポーツ推薦で進学してきました。偶然同じ学校に進むことになった二人。この二人を中心に物語は進行していきます。
ある事件をきっかけに優紀はボクシングの道を歩み始めます。同じ学校のボクシング部には「天才」と呼ばれる親友の鏑矢がいます。最初は何も出来ない優紀ですが、努力という才能を武器に、徐々に力をつけていきます。周囲も驚く成長を遂げた優紀と鏑矢はいつしかライバルに。成長と挫折を繊細かつ大胆に、爽やかでありながら熱く感動的に描き出したスポーツ小説。最後に勝つのは誰か?読み始めたら止まらない。一気に読み切れる小説です。

これを読んだら、中学生は高校に入ったらボクシングをやりたくなるかも?と思えるくらいボクシングの魅力も、努力することの大切さも詰まった小説でした。春から初夏に。爽やかな季節だからこそ読んで欲しい一冊です。格闘技好きのお子さんは是非。ボクシングに抵抗がある方にも是非ご一読下さい。少し見方が変わるかもしれません。

2009年12月の一冊『十二歳』

小学六年生の女の子の日常を等身大の目線で描いた物語

歳も暮れて参りまして、早十二月。今年は結局三冊しかご紹介できませんでした。(汗)
来年は倍増目指してがんばります。高校受験生は志望校を決定する時期にさしかかり、中学受験生は残り二ヶ月の追い込みが始まりました。師走の名の通り、走り回っている日々です。
さて、今回ご紹介いたしますのは、椰月美智子『十二歳』です。誰?という感じでしょうか。中学受験でおなじみの作家さんと言えば、重松清ですが、それに続く作家さんになるのではないかと私が密かに注目している一人です。

『十二歳』 椰月美智子 / おすすめ学年 小学5年生~中学3年生

十二歳といえば、小学校六年生から中学校一年生へと階段を駆け上がる年齢です。心身ともに大きく変貌を遂げるこの時期。考えていること、感じていること、体験すること。大人になってしまった今、いつしか美化されてしまったあの頃のみずみずしい日々を、小学校六年生の等身大の目線で書き上げた作品を見つけました。この作品は椰月さんのデビュー作ということで、荒さも目立ちますが、デビュー作ならではの、気持ちのこもった作品です。
主人公鈴木さえはポートボールが大好きな小学六年生。(ポートボールという響きすら懐かしすぎますが)友達と仲良くなったり、少し離れたり、ほのかな恋をしたり、友達の恋を応援したり。この物語の中で特別な出来事は起きません。小学六年生の日常が、小学生特有の盛り上がりを見せながら、不安定に進んでいきます。椰月さんが描きたかったのはきっとこの「不安定さ」なんでしょう。そして、さえは小学校を「卒業」します。その先も、さえが抱える悩みや、不安は変わりません。でも、さえは間違いなく「卒業」したのです。
人は生きていく中で、たくさんの卒業を繰り返しますが、すべての卒業はスタートラインでしかない。それを改めて感じさせてくれるそんな作品でした。

小学校高学年~中学生の女の子に是非読んでもらいたい作品でもあります。共感しながら読み進めて行くうちに、いつの間にか残りのページ数は少なくなっているはずです。
小学生の女の子が何を考えているか分からない、理解が出来ないというお母様、お父様。ご一読をおすすめいたします。思っているよりも大人で、また想像以上に幼い「十二歳」の姿をそこに発見できることでしょう。

2009年9月の一冊『ステップファザー・ステップ』

双子の継父となった泥棒のあったか~い話

またも更新が滞っておりましたが、久々にご紹介いたします。
今回ご紹介するのは宮部みゆきの『ステップファザー・ステップ』です。宮部みゆきといえば、『模倣犯』や『理由』などのミステリー小説が有名ですが、本作は小中学生でも入り込みやすい舞台背景と、何より魅力的な三人の登場人物の物語です。

『ステップファザー・ステップ』 宮部みゆき / おすすめ学年 小学5年生~中学3年生

両親がわけありで、同時に家を出てしまい、親不在の状況におかれた中学生の双子の男の子たち。事もあろうに雷の夜に双子の家の隣に空き巣に入ろうとした泥棒。残念ながら、雷に見舞われ、空き巣未遂に終わったところを双子に助けられます。双子は屈託のない笑顔を浮かべながら、ある条件をつきつけます。「僕ら指紋とっちゃった」「僕ら、二人の面倒を見ない?」「おとうさん!?」泥棒であることを黙っている代わりに、泥棒に父親代わりになることを求めます。「ステップファザー」とは継父のこと。
双子と主人公の泥棒のやり取りが面白く、つい引き込まれます。些細な事件から、大きな出来事が三人の周りで巻き起こり、それらを通して泥棒である「おとうさん」と「双子たち」が少しずつ絆を強めていく様子に、心をつかまれました。

いつか帰ってくるであろう本当の両親に気兼ねし、無邪気に慕ってくる「息子たち」との距離を置こうと思いながらも、「おとうさん」は、双子との生活にいつしかどっぷり浸かっていく主人公。

明るく軽い文体で、文庫本の表紙も『火車』や『模倣犯』のようなどす黒い色ではなく、内容に合わせて軽いものになっています。小中学生にも、お母様方にも読んでいただきたいお話です。受験も近づいてきて、空気が張り詰めてきた家庭にもこの一冊。心を温めましょう(笑)